第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

【エッセイ15】遺句と返句

 

「永遠の記憶…永遠の記憶…」

 

午前中に教会で歌ったレクイエムが、

まだ頭に残っている。

 

その余韻に導かれ、母の部屋で

遺品を整理していた。

 

タンスの引き出しを開けると、

古びた写真に紛れて、

くすんだ革の手帳が一冊、眠っていた。

 

手帳を手に取って開くと、

くたびれた四つ折りの紙が、

はらりと床に落ちた。

 

広げてみて、息を呑む。

 

午後よりの風に四温も今日どまり

 

母が遺した句集だった。

句会のために作ったのだろう。

自選の句が十句ほど、紙に印刷されている。

 

母の目を通してみた世界。

その目線が、こころが、懐かしかった。

 

同時に母の句は、誰かの応答を

待っているかのように感じられた。

返句で応えたい、そう想った。

 

翌日、歳時記を買ってくると、

見よう見まねで俳句を作り始めた。

 

母の句を口ずさみながら、

目の前の世界をみつめ、句を作る。

母のみた世界と私のみる世界。

そのふたつが、深いところで交錯してゆく。

いままでに経験したことのない対話が、

そこにはあった。

 

そうしていくつかの返句ができた。

まっさらな句帳を買ってくると、

そこに母の遺句を書きつけ、

私の返句を添えて、

二句ずつまとめてゆく。

 

最後に題名をつけると、短い句集ができた。

 

句集『永遠の記憶』

 

三寒四温

 午後よりの風に四温も今日どまり

 三寒やビルの狭間に並ぶ星

 

(冬すみれ)

 狭庭にも日溜まりありて冬すみれ

 路傍にも植うる人あり冬すみれ

 

(春の雪)

 古書店を出ての一歩や春の雪

 書店へと駆け込む息や春の雪

 

(木枯)

 木枯や「ただいま」の声高くなり

 木枯や「おかえり」と言ふひともなし

 

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【エッセイ14】春の陽

 

「あのさ、キモいんだよ。死んでくれない?」

言葉の暴力。冷たい言葉…。

 

この世界には、あたたかいことばも、

あるのかな。あったらいいな。

 

十三歳の冬は、とっても寒い、寒いんだ…。

 

 *

 

サオリは、十九歳の引きこもりの少女。

高校時代のいじめが原因で、

家から出られなくなったらしい。

 

一念発起して大学受験を志し、

この春から私が担当する生徒になった。

 

自己嫌悪の想いが強いらしく、

いつもうつむいて、こちらの言葉に

身構えている。

そんなサオリの姿に、あの冬の自分が

重なる気がした。

 

ある時、サオリが三十分遅れてくる、

と塾に連絡が入った。

 

昼夜逆転の生活から、寝坊してしまったようだ。

自分を責めるサオリの顔がよぎる。

その顔は、凍えているようにみえた。

 

三十分後、サオリがそっと、教室に入って来た。

案の定、サオリは泣きそうな顔をしている。

いつも通り、笑顔で手を振って出迎える。

「待ってたよ。ブースに行こっか」

サオリは固いままの表情で頷いて、

ブースに向かう。

席に着いても、どことなく

落ち着かない様子だった。

 

一呼吸おいて、授業の前に伝えたいことがある、

と言うと、サオリの顔に、さっと緊張が走った。

「ありがとう」

意外な言葉だったのか、サオリは、

ぽかんとしていた。

「今日もサオリさんの顔がみれたこと、先生はそれが嬉しい。がんばったね、ありがとう」

 

サオリの表情がほころび、

うん、と大きくうなずくと、

笑顔がこぼれた。

 

はじめてみるサオリの笑顔は、

春の陽に照らされて、

あたたかく、やさしかった。

 

※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

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【エッセイ13】手紙

「けいちゃん、学校行こう」

おかあさんの声。

ふとんをかぶって、きこえないふり。

ぼくはひきょうだ。おかあさん、ごめんね…。

朝はきらいだ。

ぼくは、いつも、ひとりぼっちだから。

 

 *

 

イチカは、元気な十二歳の少女。

いつも遊びながらケラケラ笑う。

不登校なのが不思議なくらいだ。

 

ただ、イチカがいつも、

目を合わせようとしないことは

気になっていた。

 

それが単なる照れではないことは、

やがて明らかになった。

 

「先生、ごめんなさい…」

ある日、ご家庭に着くなり、

目を赤くしたイチカの母が謝った。

聞けば、イチカは朝から布団をかぶって、

固まってしまったという。

 

リビングでイチカを待つことにすると、

隣の部屋からイチカを説得する母の声が聞こえた。

耳を塞ぎたくなるほどに、

かつてみた痛みが、そこにあった。

 

気を紛らわそうと外に目をやると、

ベランダから遠くの方に富士山が見える。

しずかに佇むその姿は、何かを語っていた。

 

イチカを独りにはさせない。

衝動的にカバンからメモ帳をつかみ出すと、

短い手紙を書きつけた。

 

イチカちゃんへ。外に綺麗な富士山が見えるよ。

よかったら、見てみてね。また来週、一緒に遊ぼう」

 

 *

 

「やった、ウノ!」

先週のことが嘘のように、

イチカは元気に遊んでいる。

心なしか、イチカの声は弾んでいた。

「じゃあ、先生は、黄色の9だ!」

「うわ、最悪・・。うそ!わたしの勝ち!」

イチカは自信たっぷりに最後の手札を置く。

そのとき、楽しそうなイチカと目が合った。

ニコッと笑うイチカ

その瞳には、明るいひかりが、宿っていた。

 

※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

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【俳句を詠む日々 第一回】祈りを詠む

 

祈り、という営み

 

それは、ひとの本能的欲求かもしれない

近頃そう感じている

 

中尊寺金色堂阿弥陀如来坐像を

拝観した

 

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金色の阿弥陀さま

涼やかな眼差し

ふっくらとした頬

 

その包み込むような佇まいは

慈愛そのもの

 

御仏の前に

涙を流したひと

 

御仏の慈愛に

生きるちからを得たひと

 

無数の祈りが

きこえてくる

 

南無阿弥陀仏

 

御仏にすべてを委ねる

それは、すがることとは少し違うようだ

 

自分を二番にする

一番の場に、神仏を招き入れる

 

それは大いなる地平の一歩に他ならない

 

ともかくもあなた任せのとしの暮

小林一茶

 

阿弥陀如来への信心を詠んだ小林一茶の句が

こころをよぎる

 

そっと阿弥陀さまに手を合わせて祈ると、

余韻に包まれながら外へ出た

 

暮れどきの陽は、

あたたかく、まぶしかった

 

春の暮ふっくら頬の仏かな

川辺一生

 

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※ 掲句は、「俳句てふてふ」にて投稿

【エッセイ12】白い花

 

暮れてなほ白際立ちて花辛夷(はなこぶし)

 

母の遺した句には、

季節の花が詠みこまれている事が多かった。

 

母の命日の今日、墓前に供えようと、

一枝の花辛夷を買った。

 

辛夷は、かわいらしい白い花を咲かせていて、

母が愛した理由が、わかる気がした。

 

電車を乗り継ぎ、母の眠る聖堂に着いた。

中に入ると、壁沿いにずらりとロッカーが

並んでいて、正面の一画に「O 家」と

書かれた扉がある。

その扉を開けると、母の遺影と、

奥に白い骨壷が見えた。

 

扉の中の小さな花瓶に、

持ってきた花辛夷を活けると、

暗い照明に照らされて、

花のかすかな白が浮かび上がった。

 

遺影の母は、やさしく微笑んでいる。

「ただいま、母さん」

そうつぶやいて、骨壷にさわる。

その無機質な冷たさが、

胸につかえていた何かを解き放った。

涙が溢れ、すすり泣く声が、

聖堂の中に響き渡る。

「またそんなに泣いて…」

そんな母のこえが、きこえる。

あれから九年。

 

こんなにも母を近くに

感じるようになったのに、

 

なぜ、涙はとめどなく溢れるのか。

悲しみは、悲しみのまま、

癒えることはない、というのだろうか。

 

そのとき、墓前の花辛夷が、

静かに揺れた気がした。

 

もとより、鉄の扉で閉じられた聖堂の中は、

微風さえ起こらない。

 

それでも、花辛夷は先ほどよりも

白く、鮮やかだった。

 

目をつぶると、唇が自然に動いた。

 

風立つや揺れる墓前の花辛夷

 

この世界でたったひとつの、

母のための句。

 

目を開けると、

悲しみは相変わらず痛いままだった。

 

だが、その痛みのなかに、

ほほえんでいる母が、みえた気がした。

 

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【エッセイ 11】よむ

祖母が亡くなって、二月(ふたつき)。

心は虚(うつろ)で、ただ流れてゆくばかりの

毎日に、焦りが募っていた。

 

読書だけが、かろうじて自分を

つなぎとめてくれる気がした。

魂の飢えを満たしてくれることばを、

毎日探し求めては、むさぼるように本を読んだ。

 

あるとき、書店で一冊の絵本が目に止まった。

やさしいタッチの絵に、

『くつやのマルチン』と、

しなやかな書体で書かれた表紙。

その隅に、作者の名前が書いてある。

トルストイ

その名前は特別な響きを持っていた。

母が亡くなったとき、彼の『戦争と平和』に

生きる力を得たのを想い出す。

この再会は、何かを告げている、そう感じた。

 

絵本を買って帰宅すると、早速読んでみた。

純朴なマルチンが、助けた人たちの中に、

キリストをみる。短く、素朴な民話。

 

すぐに読み終わったものの、

物語の意味は分からなかった。

 

だが、体は深い余韻に満たされ、

しばらくの間、辺りを包む沈黙に、

身を委ねた。

 

 *

 

「よし、じゃあ今日も遊ぼっか」

ケンタは、こくりと頷いた。

 

家庭教師の授業は二回目だが、

ケンタは発話がなく、表情も固い。

ボール遊びをしながら、様子を

見てみようと思った。

 

が、ケンタも男の子の例に漏れず、

段々とわんぱくな面を見せ始めた。

 

座布団を投げつける、

こちらに体当たりしてくる…。

 

頃合いかもしれない、と思った。

ケンタをガバッとつかまえると、

体のあちこちをくすぐった。

 

「きゃはは、くすぐったい!」

 

ケンタは顔をくしゃくしゃにして、

笑い転げた。

それから、一緒に遊んで、笑って、

楽しい時間が過ぎていった。

 

ぬくもりが体をかけめぐる。

なにかが、開かれてゆく。

次の瞬間、ことばが激しくからだを貫いた。

 

「まさしくこの日、マルチンのところへ、救世主がこられたのだということ、自分が彼を正しく迎えたということを、マルチンは悟りました」

 

『くつやのマルチン』の一節。

その意味と一体になったような気がした。

 

後日、この民話の別の単行本を見つけ、

取り寄せた。

訳は北御門二郎。

その表紙には、やわらかい書体で

題名が刻まれていた。

『愛あるところに神あり』と。

 

※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

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【エッセイ⑩】笑顔の系譜

父は、わたしの名前を呼んだことがない。

言葉を交わしたのも、片手に収まるほどだった。

 

それがどうやら異質な事だと気づいたのは、

小学生の頃。

友達と彼の父親が、笑顔で会話する姿を

目の当たりにした。

呆然とたたずむしかなかった。

初めてみるその光景は、

きっと、わたしには無縁なのだ、

と幼いながらに直感した。

 

 *

 

祖母の遺品は、思ったほど多くはなかった。

せめて、写真だけはたくさん持って帰ろうと、

一枚一枚、丁寧にアルバムから剥がして、

菓子箱の中に入れていった。

 

古びた一枚の写真が目に止まる。

白髪の好々爺が、笑顔の赤ん坊を

膝の上に乗せ、愛しそうに微笑んでいる。

もう一枚。仰向けに寝転がった先ほどの老人。

その上に五歳くらいの男の子が、

楽しそうに乗っかって遊んでいる。

 

祖父と幼いわたしの写真。

懐かしさに時が止まった。

 

ふと、あることに気づいた。

どの写真を見ても、祖父とわたしが、

屈託のない笑みを浮かべている。

くしゃっと顔全体で笑う、

その笑顔が、同じだった。

「お父さん…」

思わずことばが口をついた。

それは、ずっと願ってやまなかった呼びかけ。

応じるように、祖父との想い出が、

たしかなぬくもりと共にあふれた。

 

そうだ、祖父はいつも、名前を呼んでくれた。

大きな手で頭を撫でてくれた。

やさしい笑顔を向けてくれた。

その笑顔を、いつの間にか受け継いでいたのだ。

 

祖父から託された、笑顔の系譜。

それは、深く刻まれた、愛の記憶。

その運び手となったわたしは、

今日もこの笑顔を、生きてゆく。

 

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