第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

【エッセイ15】遺句と返句

「永遠の記憶…永遠の記憶…」 午前中に教会で歌ったレクイエムが、 まだ頭に残っている。 その余韻に導かれ、母の部屋で 遺品を整理していた。 タンスの引き出しを開けると、 古びた写真に紛れて、 くすんだ革の手帳が一冊、眠っていた。 手帳を手に取って開…

【エッセイ14】春の陽

「あのさ、キモいんだよ。死んでくれない?」 言葉の暴力。冷たい言葉…。 この世界には、あたたかいことばも、 あるのかな。あったらいいな。 十三歳の冬は、とっても寒い、寒いんだ…。 * サオリは、十九歳の引きこもりの少女。 高校時代のいじめが原因で、…

【エッセイ13】手紙

「けいちゃん、学校行こう」 おかあさんの声。 ふとんをかぶって、きこえないふり。 ぼくはひきょうだ。おかあさん、ごめんね…。 朝はきらいだ。 ぼくは、いつも、ひとりぼっちだから。 * イチカは、元気な十二歳の少女。 いつも遊びながらケラケラ笑う。 …

【俳句を詠む日々 第一回】祈りを詠む

祈り、という営み それは、ひとの本能的欲求かもしれない 近頃そう感じている 中尊寺金色堂の阿弥陀如来坐像を 拝観した 金色の阿弥陀さま 涼やかな眼差し ふっくらとした頬 その包み込むような佇まいは 慈愛そのもの 御仏の前に 涙を流したひと 御仏の慈愛…

【エッセイ12】白い花

暮れてなほ白際立ちて花辛夷(はなこぶし) 母の遺した句には、 季節の花が詠みこまれている事が多かった。 母の命日の今日、墓前に供えようと、 一枝の花辛夷を買った。 辛夷は、かわいらしい白い花を咲かせていて、 母が愛した理由が、わかる気がした。 電車…

【エッセイ 11】よむ

祖母が亡くなって、二月(ふたつき)。 心は虚(うつろ)で、ただ流れてゆくばかりの 毎日に、焦りが募っていた。 読書だけが、かろうじて自分を つなぎとめてくれる気がした。 魂の飢えを満たしてくれることばを、 毎日探し求めては、むさぼるように本を読んだ…

【エッセイ⑩】笑顔の系譜

父は、わたしの名前を呼んだことがない。 言葉を交わしたのも、片手に収まるほどだった。 それがどうやら異質な事だと気づいたのは、 小学生の頃。 友達と彼の父親が、笑顔で会話する姿を 目の当たりにした。 呆然とたたずむしかなかった。 初めてみるその光…

【エッセイ⑨】内なる平和

母の葬儀から帰ってきた。 散らかったワンルーム。見慣れた部屋が重かった。 窓辺をみると、掛け時計が割れて転がっている。 同じだ、と何故かぼんやり想った。 * 涙の冷たさで、目が覚める毎日。 後悔と嘆き…。その繰り返しだった。 その日も、なんとはな…

【読むと書く日々⑤】詩を詠むことと生きること〜新聞に俳句が掲載された話〜

2月26日付の毎日新聞に、わたしの投句した俳句が掲載されました。 選句していただき、ありがとうございました。 mainichi.jp 俳句を始めたのは二ヶ月ほど前のこと。 母の遺品を整理していたときに、たまたま母の句集をみつけたのがはじまりでした。 木枯や「…

【エッセイ⑧】たったひとつのなみだ

強迫症の病状は悪化してゆくばかりだった。 昨日できていたことが、今日にはできない。 胃も、食を受けつけなくなった。 飢えが、孤独が、恐ろしかった。 その恐怖に耐えられず、部屋で暴れ、家族に当たり散らす。そんな日々が続いた。 そうしたときにやって…

【 自作詩#7 】『その祈り』

なつかしいのはその祈り 幼子愛でる大きな手 なつかしいのはその祈り 苦しむひとをみる背中 なつかしいのはその祈り 老いたる指でかく十字 櫛(くし)すべり落ち命果て 静かにかえるその祈り 気づけばいつもそばにあり いまなお生きるその祈り 愛するひとを…

【エッセイ⑦】こえ

棺の重さが痛い。 教会の外へ担ぎ出すと、木枯(こがらし)が吹きつけて、黒の服に粉雪がまとわりついた。 うっとうしい寒さに曇天(どんてん)をにらむ。 「愛する祖母がいま、あなたのもとへ参ります」 * 「Oカワサエ。六歳。学習障害の診断あり。学校に…

【エッセイ⑥】なみだの慰め

背中にあたたかいものを感じて、 そっと目を開いた。 朝日が襖の隙間から射し込んで、 向こうの闇を細く照らしている。 心地良いまどろみに身を任せていると、 背中越しに、ぱたぱたと忙しない足音が 聴こえてきた。 行き来するその音の調子は、 覚えのある…

【エッセイ⑤】微笑みの涙

この暗闇が、永遠に続くなら いっそ、すべてを終わらせて… すでに強迫症は、彼から日常を奪い去って 久しかった。 そのひとに出会ったのは、そうしたとき。 臨床心理士と名乗ったそのひとを、 はじめ彼は警戒したが、気づくと静かに、 苦しみを打ち明けてい…

【エッセイ④】ひときれのパン

いつの頃からか、声なきうめきが、聴こえるようになった。 導かれるように、家庭教師という仕事を選んだ。 引き受けるのは、不登校や貧困家庭の子どもたち。 初めてその現場に入った日のことを、忘れることができない。 保護者に促されて、玄関をあがる。入…

エッセイ③ 夏の匂い 秋の声

雨は、やんでいた 駅の改札から外に出ると、 アスファルトはどこも濡れて 黒く光っている 並木道に沿って歩いてゆくと、 そこかしこで木を伝って落ちてきた水滴が 地面をとつとつ、と打っている 涼風が顔を打ち 小粒のしずくがパラパラと 肩に落ちてきた 湿…

エッセイ② 夏のかおり

窓の外は 傾いた陽の朱色がすでに遠い マッチを擦ると、ぱっと炎がはじけるように輝いて ほの暗い室内を一瞬、明るくした しぼんだ小さな火を竹串状の線香に近づける 先端が淡くにじんだように、ぼんやりと燃えはじめ、 白煙がすうっと、昇った 沈香の匂いが…

エッセイ① 茜の空

書店から外に出ると 調整池の向こうの空に 茜が差していた その明暗がちょうどターナーの絵のように鮮やかで、 彼は吸い寄せられるように欄干のそばに来ると、 腕をもたせて、ぼんやりと彼方を眺めた 一日のほとんどを屋内で過ごす彼にしてみれば、 日頃見る…

読むと書く日々⑤ 『イワン・イリッチの死』

愛する家族を送り出した かなたへ、渡ってゆく魂を こころを置いて 時間だけが過ぎてゆく その空白に一点のシミのように 問いが広がっていった 「なぜ、生きねばならないのだろう」 生きる意味も 生きる力も 無限に後退していくような気がした 怖いと思った …

愛別離苦とコトバ

愛する人を亡くしたとき 私はコトバを手元に残した。 2023.09.06 手に食い込む棺の重さが痛い 吹きつける一月の風の冷たさが その痛みを余計にする 黒の服に点々と 粉雪が積もる うっとうしい寒さにやり切れず 曇天の空を睨んだ 我が愛する者が いま あなた…

【読むと書く日々④】人を生かすもの

人間はパンで生きる以上に、肯定で生きるのである。 『レ・ミゼラブル』 食べる。 いのちをつなぐ。 古来よりパンは生命の、 そして生活の象徴だ。 だが一方で、パンだけでは、生活だけでは、 人は幸せにはなれない。 日々の生活を生きるためだけの人生に、 …

【読むと書く日々③】きょうの三冊

毎日、三冊の本を持ち歩く。 朝の支度をする時、 気分で本棚から選ぶ、 その日だけの三冊。 小説、詩集、哲学、心理学・・。 意図しているわけではないけれど、 ジャンルは被らないことが多い。 その三冊を、 通勤の電車や仕事前の喫茶店、休憩の ちょっとし…

【自作詩#6】紅葉

秋雨に うたれてもみじ つややかに いま少しだけ 紅(あか)をとどめて (箱根湯本にて)

時が止まる

ふらりと箱根に降り立った 細かい雨が地面をうち 寒気が足の底から這い上がってくる 凛とした空気を吸い込むと 心地よい冷たさが身体を吹き抜けた 温泉街を横目に雑踏を抜け さらさらと流れる早川をも越えて 老舗の蕎麦屋に足を運ぶ 昼時をとうに過ぎている…

【読むと書く日々②】悲劇の形

貧しさゆえの飢えと渇き。 七人の幼い子どもたちを食べさせるため、 男はたった一片のパンを盗んだ。 貧困が背中を押したその男がいま、 獄につながれようとしている。 この男も他の者たちと同じように地べたにすわっていた。 彼には、これは恐ろしいものだ…

読むこと。書くこと。

ずっと靄(もや)の中に佇んでいる。 そんな時期がここひと月ほど続いた。 生活に追われ、 時間に追われ、 人生を忘れているような、 自分の中にある大切なコトバを つかみ損ねているような気がしていた。 作家の若松英輔氏。 生きるということを深く見つめて…

【読むと書く日々①】昔なじみ 1冊目

古い付き合いの本がある。 なにかに導かれるように出逢い、 心にそっと寄り添ってくれた本。 本棚の決まった場所から いつも静かに見守ってくれている、 ふとした時にページをめくり、読み返してしまう本。 人生を共に歩んできた本。 そのいくつかをいま、手…

コトバをつむぐ

言葉はときに、単なる言葉以上の ちからを持つことがある。 大切な人の言葉にホッとして、涙があふれる。 憧れている人の言葉が、生きる糧となる。 こころに響く言葉。 人を生かす言葉。 哲学者の井筒俊彦は、そうした言葉を 「コトバ」と呼んだ。 オースト…

朝の習慣。夜の習慣。

習慣やルーティンというものを 持たずに生きてきた。 めんどくさがりが災いして 何事も続かないのだ。 そんな中、今年に入ってから 朝と夜に「書く」ことを始めた。 自分との対話が必要だった。 用意するものは、ノートとペン。 書き出す内容は決まっている…

死に至る病

デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールによれば、人間には死に至る病がある。 絶望である。 映画『ロード・オブ・ザ・リング』は、絶望を描いた作品だ。 冥王サウロンに率いられた闇の軍勢が、平和な世界を襲う。 繰り返される戦争と虐殺。 絶望の闇が…