古い付き合いの本がある。
なにかに導かれるように出逢い、
心にそっと寄り添ってくれた本。
本棚の決まった場所から
いつも静かに見守ってくれている、
ふとした時にページをめくり、読み返してしまう本。
人生を共に歩んできた本。
そのいくつかをいま、手に取ってみようと思う。
どん底からの心の変容は、人を新たな地平へと連れて行ってくれる。
山本周五郎の『さぶ』
主人公の栄二は、無実の罪で栄達の道を閉ざされ、
人足寄場(軽犯罪者の更生施設)に流れ着く。
人間不信に陥った彼は、心を固く閉ざした。
ある日、栄二は事故に巻き込まれ、生死の境をさまよう。
そこに駆けつけたのは、彼が冷たくあしらってきた
寄場の仲間たちだった。
忘れないぜ、みんな、と栄二は心の中で叫んだ。
おれは片意地で、ぶあいそうで、誰のために気をつかったこともなく、誰ひとりよせつけもしなかった。
おれは自分だけのことしか考えなかったのに、みんなはおれのために、日ごろは仲の良くない者までが、力を合わせて、おれを助け出すためにけんめいになってくれた。
みんなの声は、生涯、忘れないぞ、と栄二は声には出さずに叫んだ。
通り過ぎていた身近なやさしさ。
素朴な愛の形。
ささやかな幸せに気づけた時、
この世界がそれまでとは違って見えた。