第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

【エッセイ12】白い花

 

暮れてなほ白際立ちて花辛夷(はなこぶし)

 

母の遺した句には、

季節の花が詠みこまれている事が多かった。

 

母の命日の今日、墓前に供えようと、

一枝の花辛夷を買った。

 

辛夷は、かわいらしい白い花を咲かせていて、

母が愛した理由が、わかる気がした。

 

電車を乗り継ぎ、母の眠る聖堂に着いた。

中に入ると、壁沿いにずらりとロッカーが

並んでいて、正面の一画に「O 家」と

書かれた扉がある。

その扉を開けると、母の遺影と、

奥に白い骨壷が見えた。

 

扉の中の小さな花瓶に、

持ってきた花辛夷を活けると、

暗い照明に照らされて、

花のかすかな白が浮かび上がった。

 

遺影の母は、やさしく微笑んでいる。

「ただいま、母さん」

そうつぶやいて、骨壷にさわる。

その無機質な冷たさが、

胸につかえていた何かを解き放った。

涙が溢れ、すすり泣く声が、

聖堂の中に響き渡る。

「またそんなに泣いて…」

そんな母のこえが、きこえる。

あれから九年。

 

こんなにも母を近くに

感じるようになったのに、

 

なぜ、涙はとめどなく溢れるのか。

悲しみは、悲しみのまま、

癒えることはない、というのだろうか。

 

そのとき、墓前の花辛夷が、

静かに揺れた気がした。

 

もとより、鉄の扉で閉じられた聖堂の中は、

微風さえ起こらない。

 

それでも、花辛夷は先ほどよりも

白く、鮮やかだった。

 

目をつぶると、唇が自然に動いた。

 

風立つや揺れる墓前の花辛夷

 

この世界でたったひとつの、

母のための句。

 

目を開けると、

悲しみは相変わらず痛いままだった。

 

だが、その痛みのなかに、

ほほえんでいる母が、みえた気がした。

 

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