祖母が亡くなって、二月(ふたつき)。
心は虚(うつろ)で、ただ流れてゆくばかりの
毎日に、焦りが募っていた。
読書だけが、かろうじて自分を
つなぎとめてくれる気がした。
魂の飢えを満たしてくれることばを、
毎日探し求めては、むさぼるように本を読んだ。
あるとき、書店で一冊の絵本が目に止まった。
やさしいタッチの絵に、
『くつやのマルチン』と、
しなやかな書体で書かれた表紙。
その隅に、作者の名前が書いてある。
「トルストイ」
その名前は特別な響きを持っていた。
母が亡くなったとき、彼の『戦争と平和』に
生きる力を得たのを想い出す。
この再会は、何かを告げている、そう感じた。
絵本を買って帰宅すると、早速読んでみた。
純朴なマルチンが、助けた人たちの中に、
キリストをみる。短く、素朴な民話。
すぐに読み終わったものの、
物語の意味は分からなかった。
だが、体は深い余韻に満たされ、
しばらくの間、辺りを包む沈黙に、
身を委ねた。
*
「よし、じゃあ今日も遊ぼっか」
ケンタは、こくりと頷いた。
家庭教師の授業は二回目だが、
ケンタは発話がなく、表情も固い。
ボール遊びをしながら、様子を
見てみようと思った。
が、ケンタも男の子の例に漏れず、
段々とわんぱくな面を見せ始めた。
座布団を投げつける、
こちらに体当たりしてくる…。
頃合いかもしれない、と思った。
ケンタをガバッとつかまえると、
体のあちこちをくすぐった。
「きゃはは、くすぐったい!」
ケンタは顔をくしゃくしゃにして、
笑い転げた。
それから、一緒に遊んで、笑って、
楽しい時間が過ぎていった。
ぬくもりが体をかけめぐる。
なにかが、開かれてゆく。
次の瞬間、ことばが激しくからだを貫いた。
「まさしくこの日、マルチンのところへ、救世主がこられたのだということ、自分が彼を正しく迎えたということを、マルチンは悟りました」
『くつやのマルチン』の一節。
その意味と一体になったような気がした。
後日、この民話の別の単行本を見つけ、
取り寄せた。
訳は北御門二郎。
その表紙には、やわらかい書体で
題名が刻まれていた。
『愛あるところに神あり』と。
※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。