第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

【エッセイ⑥】なみだの慰め

背中にあたたかいものを感じて、

そっと目を開いた。

 

朝日が襖の隙間から射し込んで、

向こうの闇を細く照らしている。


心地良いまどろみに身を任せていると、

中越しに、ぱたぱたと忙しない足音が

聴こえてきた。


行き来するその音の調子は、

覚えのある不器用さ。

思わず笑みがこぼれる。


聴き慣れた、母の足音。

しばらく背中でその音を聴いていると、

久しく忘れていた安らぎが、体全体に広がる。


切なさで、胸が潰れてしまいそうだった。

瞬間、冷たい現実がよみがえった。


母は、もういない。いないのだ…。

足音が、止まった。


「だめだ…、母さん、いかないで…」


頬を伝う涙に、目が覚めた。

足音はもう聴こえない。


ただ、無音がこだます部屋で、

身を震わせる涙だけが、そこにあった。


   *


祭壇にひとつ、小さな写真立てが伏せてある。

ずっと、見れずにいた母の写真。

 

なぜいま、それに触れようとするのか…。

波打つ鼓動よりも強く、そこへ引きつける

何かがあった。


深い息をひとつ漏らすと、ゆっくりと写真を

起こす。懐かしい母の笑顔と目があった。


そのとき、確かなあたたかさが、

全身を駆け巡った。

 

そのぬくもりは、母が生きていた頃と

まったく同じ。

全てを包み込むと、やさしく語りかけてきた。


「大丈夫、大丈夫よ…」

 

母は、いま、ここにいる。

いや、ずっと、いてくれた。

変わらずにいまも、愛してくれている…。


崩れるようにうずくまると、むせび泣いた。


流れるなみだが、初めて与えてくれた慰め…。

夢中で抱きしめた。

あとには、静かに燃える炎が、鼓動していた。

 

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