第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

真っ白のページ(裏・自己紹介⑤)

さて、自分語りもいよいよ佳境です。

今回と次回でたぶん終わると思う。

 

先に断っておくと、今回は自死に触れます。

鬱々とした気分になりたくない人は見ない方がいいかもしれません。

 

それでも読むよ、っていう物好きで勇気あるあなた。僕は大好きよ。

 

 

 

モノクロの世界

 

衝撃的なシーンっていうのは、なんだか映画のワンシーンのように色鮮やかに、断片的に切り取られて記憶に残っていたりする。

 

「おばさんが自宅のマンションで自ら命を絶ちました。このメールを見たら、連絡ちょうだい」

 

母からもらったメール。

 

多分、きっと、僕は一生忘れないと思う。

 

一瞬意味がわからなくて、言葉が出てこなかった。

 

時間が止まるっていうやつ。

 

自殺したおばさんは、僕にとってはもう一人の母親と言っていいくらい、小さい頃から可愛がってくれた人だった。

 

おばさんは、一言で言うとバリバリのキャリアウーマン。

 

歯科医師の祖父の跡を継ぐために、小さい頃から努力して女医になった人だ。

 

正義感も人一倍強くて、自分にも人にも厳しかった。

 

実の母親が僕ら兄弟を甘やかす分、おばさんはいつも叱り役だった。

 

けれど、優しくてユーモアのある人だったから、僕も弟もおばさんが大好きだった。

 

愛のある人だった。

 

ただ、完璧主義な性格が災いして、次第に周囲も彼女を持て余すようになっていった。

 

晩年になると生涯独身だったことから来る孤独感なのか、周囲に当たり散らすことも増えていった。

 

だんだんと彼女の元から人が離れていった。

僕ら家族でさえも。

 

そんな悪循環が続き、おばさんは気づくとひとりぼっちになっている自分に気づいたのだろう。

 

「今度、東京の学会に行くから、よかったらご飯でもどう?」

 

ある日、僕のもとに届いたメール。

 

だけど、僕は返事を返さなかった。

 

僕も大学に入った頃から、おばさんの言動に我慢がならず、距離を置くようになっていたから。

 

今思えば、つまらない意地だったと思う。

 

その1週間後、おばさんは自ら命を絶った。

 

そこからは全てがバタバタで断片的にしか思い出せない。

 

飛行機の中で泣き出す母親の背中をさすったこと。

 

タクシーで熊本の実家に向かっていると、ちょうど無言の帰宅を果たしたおばさんの遺体を運ぶ車両と鉢合わせたこと。

 

全てがモノクロの映画のように現実味がなかった。

 

おばさんの棺に、すがりつくように泣く母と祖母。

 

僕は不思議と涙の一粒も流さずに、ただその光景を呆然と眺めていた。

 

現実味がなくて、ウソみたいだった。

 

棺の窓からおばさんの顔を覗くと、血の気がまるでなく、自死の影響で変形して、一瞬誰だか分からなかった。

 

自宅で首を吊って亡くなったと聞いていたから、その苦しみが顔にも出ていたように思う。

 

よくよく目を凝らすと、おばさんの面影が感じられる、そんなレベル。

 

自殺したことは伏せて近親者のみでバタバタと葬儀をすることになった。

 

だけど、神父様も参列者もみんな薄々気づいていたと思う。

 

普通の葬儀以上に重苦しい雰囲気だったから。

 

葬儀を済ませた後、家族で何か置き書きのようなものはないかとあちこち探し回った。

 

おばさんの手帳とパソコンに保存された断片的な遺書が発見された。

 

遺書に溢れていたのは自分の運命を呪うような言葉だった。

 

自分や関わった人たちに対する怒りのようなもの。

 

けれど、僕たち家族のことは一言も出てこなかった。

 

「私たち家族のことは少しも出てこないのね。本当に最後までワガママな子・・」

 

母は少し呆れるような、怒っているようなことを言っていたように思う。

 

ただ唯一穏やかに綴られていることがあった。

 

かつて愛した人のこと。

 

おばさんは生前、絶対に口にはしなかったけれど、結婚を考える人がいたらしい。

 

なのに、つまらないプライドが邪魔をして、自ら手を離してしまったようだった。

 

「さながら、美女と野獣ね。野獣は私の方。優しい彼には私は釣り合わなかったもの・・」

 

そのことを何十年も引きずりながら生きた自分を自嘲するような言葉が続く。

 

「彼は結婚して幸せに暮らしているのに、私は彼のことが忘れられなかった。ホントにバカみたい・・」

 

小さい頃、僕と弟は、おばさんに可愛がられて育った。

 

今思えば、おばさんは「自分が幸せな家庭を築いていたら」と、そんな夢を僕ら兄弟に重ねていたのかもしれない。

 

手帳の方には几帳面なおばさんらしく、細々とスケジュールが書いてあった。

 

けれど、亡くなる1ヶ月前くらいから、弱々しい心の叫びのようなメモが散見されるようになった。

 

「苦しい」

 

「辛い」

 

「自殺したい」

 

そして、

 

「神様、助けてください」

 

その一言を最後に、手帳のページは真っ白になった。

 

その重みに、僕は押しつぶされそうになった。

 

今でも時々思い出す。

 

人が、自ら命を絶つことを決意した跡。

 

もう手遅れな自問自答。

 

なぜ、あの時メールを返してあげなかったのだろう。

 

どうして、気づいてあげられなかったのだろう。

 

きっとそれは、今日この瞬間にも、この国で繰り返されている悲劇。

 

多くの人にとっては非日常。

 

僕だって、そうだった。

おばさんが自殺するまで、そんなことは自分には関係のない非日常だったのだ。

 

その非日常が日常になった。

ただ、それだけのこと。

 

それだけのことなんだ。

 

ここから僕の人生は下り坂に入るのだけれど、それは次回にしよう。

 

自殺というこの国の抱える問題について

 

さて、あなたはこれを読んで何を思っただろう。

 

ここから先は僕の個人的な意見。

あなたの意にそぐわなくてもどうか怒らないでほしい。

 

僕は基本的に自殺は肯定も否定もしない。

 

けれど、自殺した人には、「辛かったよね。よくがんばったね。お疲れ様でした 」って言いたい。

 

「自殺は良くないことだ」って人は言うけどさ。

 

良いとか、悪いとかそういう価値基準で計れるものではないと思うんだ。

 

そこに至るまでの、その人の人生や葛藤を「良くない」なんて安っぽい言葉で否定することになんの意味があるのだろう。

 

ただ、本当は生きたいのに、自ら命を絶つという選択をせざるを得ない人の自殺はたまらない。

 

誰かひとりでもいい。

「あなたはひとりじゃないよ」って言える人がいたなら。。

 

そんなことを思ってしまう。

 

おばさんは敬虔なクリスチャンだった。

キリスト教において、自殺はご法度とされる。

 

おばさんだって、それは重々分かっていたはずだ。

 

だけど、おばさんは死ぬことを選んだ。

 

「神様はおばさんを見捨てた」と当時、僕は思った。

 

だから僕はその後しばらくの間、神様を恨み、頑なに無神論へと傾倒することになる。

 

よくよく考えれば、おばさんを見捨てたのは自分だったのだから、「放蕩息子」もいいところだったわけだが。

 

これもちょっとした伏線。

あとでちゃんと回収するよ。

 

少し長くなってしまった。

できるだけ淡々と書いたつもりだけれど、どうだろうね。

 

少しでもあなたが、なにかを考えるキッカケになったら、僕は嬉しい。

 

追記: ちょうどこのブログを書き終わった、5/4正午頃、大阪梅田で女性の飛び降り自殺が報道されました。自殺の様子が動画で出回ったこともあり、騒動になっていますが、それも含めてみなさんに考えてほしいと願います。亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、御霊が安らかでありますよう、心から祈ってやみません。