(いのち)
箱根の温泉街を抜けて、
川沿いにある蕎麦屋の外で、
順番を待っていた。
正面の庭に目を向けると、
細い楓の木に、小さな紅葉が、
冷たい雨に打たれている。
時々、気まぐれな山風も吹きつけて、
木を激しく揺らす。
それでもなお、しがみついて離れない紅葉の赤。
せつなく、あざやかに…。
いのちの姿に、なみだが溢れた。
この世界は、かなしいくらい、うつくしい。
その地平の彼方にむかって、
今日もひとは、祈り続ける。
(愛)
不登校の子どものかなしみに満ちた目。
その目をひたむきに愛する。
するとその瞳が、笑顔と共に
照らし出されるときがある。
あのぬくもりを、
なんと言葉にしたらよいだろう。
「愛とは聖なる神秘だ。愛する者にとって、愛は永遠に言葉を超えたものであり続ける」
カリール・ジブラン『人の子イエス』
そう語った詩人のことばは、
真実だと想う。
子どものかなしみに寄り添うとき、
あのひとのやさしい手が、
たしかに、この身にふれるのを感じる。
そのぬくもりは、
いつも生のありかを、教えてくれる。
(なみだ)
愛する人たちの差し出してくれた手。
そのたしかな温もりが、
信仰の起源だった。
彼らの背中を追うことは、
いつしか人生そのものになった。
「消えてしまいたい…」
その日、寝室のライトを消すと、
妻が肩を震わせながら泣いた。
のしかかる生活の重み…。
彼女の肩をさすっていると、
その小ささに、涙が止まらなくなった。
あぁ、そうだ…。
あの人たちも、いつも悲しむ人の隣で、
一緒になみだを流していた…。