第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

【エッセイ④】ひときれのパン

いつの頃からか、声なきうめきが、聴こえるようになった。

導かれるように、家庭教師という仕事を選んだ。

引き受けるのは、不登校や貧困家庭の子どもたち。

 

初めてその現場に入った日のことを、忘れることができない。

保護者に促されて、玄関をあがる。入ってすぐの座敷に、小さなちゃぶ台が置かれていて、その向こう側にちょこんとコウタは座っていた。

曇った目を伏せて、体をちぢこめた彼の姿は、ひどく小さく見える。

 

自らの存在を消すことで、自分を、いのちを守っていた。

生きるために、十歳なりに考えた精一杯の知恵。

胸の奥を重たい何かが殴りつけてくるのがわかった。

 

ちゃぶ台の前に座りながら、半ば無意識にコウタに微笑みを向けると、彼は探るような目で、ちらりとこちらを見上げた。

 

その目は、いつ、この大人は言葉という拳を振り上げるだろうか、

と身構えているようだった。

 

「じゃあ、お願いしますね」

 

保護者がその場を立ち去るのを見届ける。

待ちかねたように、いたずらっぽい目配せをコウタに送って、おもむろにカバンの中から種々雑多な玩具を取り出してみせた。ウノ、ジェンガ、オセロ・・。

予想外の大人の行動に、コウタは目を丸くしている。

 

「さあ、遊ぼっ」

 

そうコウタに語りかけると、返事を待たずに遊び始める。戸惑いながらも、コウタも遊びの輪に加わった。

 

子どもは楽しむことの名手だ。

次第にコウタの口からクスクスと笑い声が漏れはじめ、本来の自分を解き放つように、笑顔がこぼれ始めた。いつしか、コウタは子どもらしい明るさを取り戻していった。

そんな彼の姿に、わたしも救われるような想いがするのだった。

 

そうしてふと、想う。

あのひとの居場所を、教えてもらった、と。

 

これらのいと小さき者の1人になしたるは、すなはち我になしたるなり

(マルコ 25-40)

 

コウタの笑顔のなかに、あのひとのやさしい瞳がみえたような気がした。

わたしを呼び招いたのは、まさしくその瞳だったのだ。

 

それからというもの、一片のパンを子どもたちに捧げるようになった。

共に過ごす時間。ささやかな安らぎ。楽しい想い出。

言葉と遊びでかたどった、目にみえない、あたたかな一片のパンを。

 

※ この記事は、実話を基にしたフィクションです。実在の人物や団体とは関係ありません。

 

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