第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

読むと書く日々⑤ 『イワン・イリッチの死』

愛する家族を送り出した

かなたへ、渡ってゆく魂を

 

こころを置いて

時間だけが過ぎてゆく

 

その空白に一点のシミのように

問いが広がっていった

 

「なぜ、生きねばならないのだろう」

 

生きる意味も

生きる力も

 

無限に後退していくような気がした

 

怖いと思った

 

ロシアの文豪レフ・トルストイ

彼もまたその恐怖に取り憑かれた人であった

 

私の生活は停止した。呼吸したり、食ったり、飲んだり、眠ったりすることはできた。が、そこにはもう真の生活はなかった、なぜなら、これを充実させることが合理的だと思われるような、そうした希望がなかったからである。

 

『懺悔』

 

彼は終生、この恐怖に怯えながら生きた

 

死がもたらす無気力と絶望

震えるその指で完成させた作品が『イワン・イリッチの死』だった

 

凡庸な官僚のイワン・イリッチ

生活に翻弄され、不幸な結婚生活の果てに

病に倒れる

 

病苦に喘ぎ

死の恐怖に断末魔をあげながら

彼はついに最期を迎える

 

「いよいよお終いだ!」誰かが頭の上で言った。

 

彼はこの言葉を聞いて、それを心の中で繰り返した。

 

『もう死はおしまいだ』と彼は自分で言い聞かした。

 

『もう死はなくなったのだ』

 

『イワン・イリッチの死』

 

理解よりも先に

涙が溢れた

 

信じたいと願っていた世界が

目の前に開かれてゆくのを感じる

 

未知の世界に対して

人が求めるのは

 

事実よりも真実だろう

 

死はなくなった

それが事実かは分からない

 

だがもし、愛するひとが(いずれは、わたしたちも)

イワンのように心安らかに最期を迎えるのだとしたら

 

それが真実であるなら

そのやさしい世界を

わたしは信じたいと思う

 

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