強迫症の病状は悪化してゆくばかりだった。
昨日できていたことが、今日にはできない。
胃も、食を受けつけなくなった。
飢えが、孤独が、恐ろしかった。
その恐怖に耐えられず、部屋で暴れ、家族に当たり散らす。そんな日々が続いた。
そうしたときにやってきたのが、あのひとだった。
「臨床心理士の北山です。どうぞ、よろしく」
臨床心理士という言葉に、びくりと体が震えた。
今までに何度も聞いた、その名乗り。
探るように、向かいに座ったそのひとの顔を見た。北山先生は静かに微笑んでいた。
警戒しながらも、言葉を紡いでみた。
もうこのひとに、賭けるしかなかった。
病気や苦しみ、それらを少しずつ語った。
ふと、北山先生は、気づいたことがあります、と言った。
「強迫症は、きみの戦友なのかもしれない」
「せんゆう、ですか…」
「そう、一緒に戦ってきた、かけがえのない仲間」
「なかま…」
何かが崩れてゆくのが、わかった。
今日までずっと、この病を呪ってきた。
病を駆逐しなければ、元の生活に戻れない、生きる価値もない、と。
だが、本当に?
生きる価値を病に委ねずとも、あなたは、あなたじゃないか。
そう問われている気がした。
また、生きてゆける。その直感が胸を貫いた。
嗚咽がとめどなく溢れ、静かな部屋にこだました。
顔を上げると、北山先生は、やさしく微笑んでいたが、なぜか泣いているようにみえた。
目には見えないそのなみだが、十五年以上経った今も忘れることができない。
それは初めてみた、
わたしのための、
たったひとつの、
なみだだったから。