カトリックの司祭で優れた神学者であった井上洋治神父は、人が大きく生まれ変わる瞬間について、こう述べている。
自分の弱さ、卑怯さ、みにくさすべてが”ゆるされている”と感じたとき、人は初めて変わる。
『わが師イエスの生涯』
こんな自分であるのに、ゆるされている。
愛されている。
なにかが音を立てて崩れてゆく。
「俺は惨めなやつだ!」
そう叫んで、むせび泣く。
フランス文学の金字塔『レ・ミゼラブル』
の冒頭シーンである。
彼はこころ優しい司教の元から銀の食器を盗む。
翌日、憲兵に捕らえられたところを、当の司教が救ってくれる。
「この食器はたしかに私が差しあげたものです。どうぞ、彼を自由にしてあげてください」
あっけにとられるバルジャンに、銀の燭台をも差し出して、彼はこう語りかける。
わたしの兄弟であるジャン・バルジャンさん、あなたはもう悪の味方ではなく、善の味方です。わたしが贖うのはあなたの魂です。あなたの魂を暗い考えや破滅の精神から引き離し、神に捧げます。
『レ・ミゼラブル』
司教の圧倒的な愛に触れ、バルジャンは慟哭するしかなかった。俺はなんて惨めなやつなんだ、と。
ひとが背負う悲しみや痛み。
その重さに気づき、そっと寄り添う。
背中をさする。
その素朴なやさしさ。
私の信じる愛は、そこにある。