第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

愛とは

f:id:sumsum41chuck:20221016012006j:image

 

カトリックの司祭で優れた神学者であった井上洋治神父は、人が大きく生まれ変わる瞬間について、こう述べている。

 

自分の弱さ、卑怯さ、みにくさすべてが”ゆるされている”と感じたとき、人は初めて変わる。

『わが師イエスの生涯』

 

こんな自分であるのに、ゆるされている。

愛されている。

 

なにかが音を立てて崩れてゆく。

 

「俺は惨めなやつだ!」

 

そう叫んで、むせび泣く。

 

フランス文学の金字塔『レ・ミゼラブル

の冒頭シーンである。

 

仮出獄を果たした囚人、ジャン・バルジャン

彼はこころ優しい司教の元から銀の食器を盗む。

翌日、憲兵に捕らえられたところを、当の司教が救ってくれる。

 

「この食器はたしかに私が差しあげたものです。どうぞ、彼を自由にしてあげてください」

 

あっけにとられるバルジャンに、銀の燭台をも差し出して、彼はこう語りかける。

 

わたしの兄弟であるジャン・バルジャンさん、あなたはもう悪の味方ではなく、善の味方です。わたしが贖うのはあなたの魂です。あなたの魂を暗い考えや破滅の精神から引き離し、神に捧げます。

レ・ミゼラブル

 

司教の圧倒的な愛に触れ、バルジャンは慟哭するしかなかった。俺はなんて惨めなやつなんだ、と。

 

ひとが背負う悲しみや痛み。

その重さに気づき、そっと寄り添う。

背中をさする。

 

その素朴なやさしさ。

私の信じる愛は、そこにある。