第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

日本人と言葉と魂と・・

大和国は 言霊の幸かふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり」

 

これは歌人山上憶良が日本という国の国柄を詠んだ長歌の一節です。

 

(我が国 日本は、古くより言霊に対する信仰を 語り継ぎ、言い伝えてきた)

 

日本人は古来より「言葉には魂が宿る」と考え、大切に紡いできた民族でした。それを憶良はしみじみと感慨にふけりながら歌にしたのです。

 

戦後、神道的な考え方が否定され、またテクノロジーの進化に伴って、言葉が飛び交いやすくなったことで、日本人は言葉を大切に扱わなくなったように感じます。

 

先日、自民党杉田水脈議員がLGBTに関する記事を寄稿した際、「生産性」という言葉を使ったことで差別的な発言なのではないか、と騒動になり、議員辞職を求めるデモにまで発展しました。

 

一連の騒動を眺める中で、「日本人はあまりにも言霊を軽視していないか」とそんなことを感じました。

 

「差別主義者」だの、レイシストだの、リベラル界隈が攻撃的な言葉を杉田先生に投げつける様は、もはや批判ではなくリンチの様相を呈していました。憎悪は憎悪を呼ぶもので、杉田先生の殺害予告までなされる始末。

 

自らの正当性を盾に攻撃を繰り返す彼らは、悪い意味で言霊に絡めとられているように感じてしまいました。

 

一方で杉田先生の言葉選びも果たして適切だったのか、という疑問は当然ありました。

 

日頃から杉田先生の発言を見ていた人間としては、記事を読んで、彼女の言いたいことはよく分かったし、なぜこれが差別と捉えられてしまうのか理解に苦しみました。

 

ですが、言葉には必ず受け取る相手がいます。

ましてや今回はLGBTという非常に繊細な内容です。

 

そう考えると、「一般大衆がどう捉えるか」ということを念頭において言葉を選ぶべきだったのではないかな、と感じてしまいます。

 

彼女を批判する勢力が騒ぐのはいつものことですから、どうでもいいのです。

 

問題は、「その他の人々を味方につけることができたのか」ということだったように感じます。

 

「生産性」という言葉だけを切り取られた場合、それを聞いて手放しに彼女を支持することができない空気があったのもまた事実ではなかったでしょうか。

 

実際、味方であるはずの保守界隈ですら、疑問の声が上がっていましたし、僕自身、「生産性」という発言は必要なかったのではないかなと感じました。

 

与党である自民党は何をしても批判されるし、言葉狩りをされます。

 

個人的には、政治で結果を残してくれれば、政治家の人柄や言動など、取るに足らないことだと思っているのですが、一般的な国民は政治家の一挙手一投足に注目をしています。

 

そして、メディアが煽ったことに少しでも正当性がある場合、無党派層や政治に興味がない人には、無能な政治家と映ってしまうのです。

 

「政治家たるもの、批判は甘んじて受ける」という姿勢はもちろん大切ですが、現実に政治を動かしていくためには、政治への関心が低い層も含めた一般大衆を巻き込んでいく必要があります。

 

今回の杉田先生の記事は、相当踏み込んだ内容で、覚悟を持って書かれたことが分かります。

 

「生産性」という言葉に込められた意味も、差別などではなく、あえて比喩的に用いたものと僕は感じました。

 

ただ、杉田先生の意図とは裏腹に、与党批判の道具にされ、無党派層や味方の支持も得ることができなかった。

 

杉田先生もまた、言霊という諸刃の剣で深手を負ってしまったように感じます。

 

LGBTに限らず、日本に必要なのは言葉狩りではなく、建設的な議論です。

 

そのためにも、今一度言葉を、そして言霊を大切にすることの重要性を考え直す時なのかもしれません。

 

※以下、個人的に参考になる動画・ブログをご紹介しておりますので、そちらもどうぞ。

 

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