夏の日差しがまぶしかったのを覚えている。
窓越しに差し込んだ光線は、ジリジリと響く蝉の鳴き声と共に、宴会場の畳を照らしていた。
その陽を背に受けながら、幼い私は瓶ジュースの王冠の群を畳の上に並べていた。キラキラと光沢を放つそれらを眺めていると、退屈な時間がいくらか慰められるような気がした。
父方の祖母の葬儀。
私は10歳ほどであったと記憶している。
正直な話、私はこの祖母があまり好きではなかった。
頬がこけ、鋭い目をギラギラさせて、子どもと言えど、容易に立ち入らせない何ものかを感じさせるその人に、私はついぞ愛着を覚えることはなかったのだ。
だから、祖母の葬儀と言っても、どこか他人事のようで、終始退屈であったことを憶えている。
それだけ退屈であれば、この光景も記憶の奥深くに押しやられても不思議ではないのだが、ある種強烈なイメージを伴って私の中に残っているのは、別に懐かしさや哀愁のせいではない。
子どもの鋭すぎる勘が、大人たちの欺瞞を見抜いた最初の記憶だからであった。
「お母さぁん!!」
つい数刻前に、父の長姉は、火葬場へ向かう棺にすがりつくようにして慟哭していた。
だがどうであろう、いま目の前で参列者を接待するその人は、実に晴れやかな笑顔で、瓶ビールをふるまっている。
私は子どもながらに、そこには初めから哀しみなど存在しなかったことを、直感的に感じ取っていた。