第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

【連載小説】第1章 百合の花 #3

周也は立ち上がると、縁側の重たい窓をゆっくりと開けた。すぐにひぐらしの歓声がどっと迫ってきて、じっとりと生ぬるい空気が肌にまとわりついてくる。彼は身を乗り出すと、くたびれたサンダルをつっかけて、庭先に降りてみた。

広々とした庭は軒先をぐるりと囲んでいて、さらにその周りを大小様々な木々が包み込み、外界と母屋を隔てている。

縁側の正面には、長いこと水を引いていない空の池と石灯籠が暗い影を落としていて、その反対側の隅っこに、例の庭木がひっそりと佇んでいた。

のびきった芝生に少し足をとられながら、周也は縁側沿いに歩いてゆき、その木の前に出ると正面からぼんやりと眺めた。

この辺りではさして珍しくもない犬柘植(イヌツゲ)の木。その黒々とした葉の群れが、黄昏に溶けつつある。

祖父が生きていた頃は手づから刈り込みをしていたものだが、いまは伸びるままにまかせてあるためか、少しばかり不恰好に見えて、それが彼の興を削いだ。

周也はそんな時、無感動な自分を虚しく思う。

ため息をひとつ置いて、彼は振り向いた。せめて母と同じ景色を見ようとした。

庭が眼前に広がり、その向こうに人吉盆地の山々が連なって、傾いた陽の光を背に負っている。

小さい頃から見慣れた景色は、彼を慰めることもなく、ただそこにあった。

周也は力なくそれらを眺めていたが、ふいに、

「いったい、どこで何をしているの・・」

とうらめしそうに、そうつぶやいた。