第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

【エッセイ⑨】内なる平和

母の葬儀から帰ってきた。

散らかったワンルーム。見慣れた部屋が重かった。

窓辺をみると、掛け時計が割れて転がっている。

同じだ、と何故かぼんやり想った。

 

 *

 

涙の冷たさで、目が覚める毎日。

後悔と嘆き…。その繰り返しだった。

 

その日も、なんとはなしに、本棚に残っていた文庫本を手に取った。

トルストイの『戦争と平和』だった。

読み始めてすぐに気づく。これは、わたしの物語…。

 

戦場から帰ってきたピエールのことばが、目に止まった。

 

「人生が軌道から外れると、もう何もかも終わりだ、という気持ちになる。でもそれは、何か素晴らしいことへの始まりでもある。人生が続く限り、幸せはある。行く手には、多くの幸せが待っている」

戦争と平和

 

ページが涙で濡れた。

そのことばは、願いというよりも、真実だと直感した。

ひとは、戦争の最中にすら、平和を見出すことができる。

ならば…。 

 

 *

 

家庭教師先のお宅に着くと、ドタドタッと足音が二階から降ってきた。

「オガちゃんせんせっ、きょうは、なにして遊ぶ?」

息を切らせている教え子のサトシ。思わず微笑みを返しながら、応える。

「じゃあ、スマブラ対決ね」

「やった、はやく二階いこー」

階段を駆け上がるサトシの背中に、ついてゆく。

相変わらず学校には行けないが、明るくなったサトシ…。

 

ふと、想う。

あれから、内なる平和を、わたしは見出したのだろうか。

 

サトシがこちらを振り返った。その笑顔が、全てを物語っている気がした。

 

※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

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【読むと書く日々⑤】詩を詠むことと生きること〜新聞に俳句が掲載された話〜

2月26日付の毎日新聞に、わたしの投句した俳句が掲載されました。

選句していただき、ありがとうございました。

 

mainichi.jp

 

俳句を始めたのは二ヶ月ほど前のこと。

母の遺品を整理していたときに、たまたま母の句集をみつけたのがはじまりでした。

 

木枯や「ただいま」の声高くなり

 

何気ない日常。

母のみていた愛しい世界。

 

五・七・五を通して、母と対話している、

不思議な気持ちになりました。

 

そこから投句を開始し、先人の句集も

いくつか購入しました。

 

そのときに、出会ったのが小林一茶

 

きつつきの死ねとてたたく柱かな

小林一茶

 

素朴でありながら、どこか寂しげで、豊かな霊性を感じる一茶の句。

 

目の前の生活を写生し、

人生に想いを馳せる。

 

詩を詠むとは、生きることと

同義なのかもしれない。

 

新聞の掲句は、そのときの湧き上がる想いを

詠んだ一句です。

 

振り返れば、先人たちも詩を詠むことで

生をつないできたのだと想います。

 

やまとうたは、人の心を種として

よろづの言の葉とぞなれりける。

古今和歌集 仮名序』

 

悲しみに満ちた日々。

叫びたいほどの苦しみ、悲しみがある。

 

かけがえのない私の人生。

伝えきれないほどの愛と歓びがある。

 

その心が種となり、詩という言の葉が

いくつもいくつも育ってきた。

 

詩人だけが詩を書くのではありません。詩を書いた人を詩人と呼ぶのです。

若松英輔『詩と出会う 詩と生きる』

 

詩を詠むことは、なにか特別な才能を持った人だけの営みではないのだと想います。

ひとはみな、生まれながらに詩人なのです。

 

すべてのひとが、内なる詩をみつける。

この世界でたったひとつの、大切な詩を詠む。

そんな願いを込めて。

 

なぜひとは詩を詠み生きる朧月

第四人称の語り部

 

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【エッセイ⑧】たったひとつのなみだ

強迫症の病状は悪化してゆくばかりだった。

昨日できていたことが、今日にはできない。

胃も、食を受けつけなくなった。

 

飢えが、孤独が、恐ろしかった。

その恐怖に耐えられず、部屋で暴れ、家族に当たり散らす。そんな日々が続いた。

そうしたときにやってきたのが、あのひとだった。

 

臨床心理士の北山です。どうぞ、よろしく」

臨床心理士という言葉に、びくりと体が震えた。

今までに何度も聞いた、その名乗り。

探るように、向かいに座ったそのひとの顔を見た。北山先生は静かに微笑んでいた。

 

警戒しながらも、言葉を紡いでみた。

もうこのひとに、賭けるしかなかった。

病気や苦しみ、それらを少しずつ語った。

 

ふと、北山先生は、気づいたことがあります、と言った。

 

強迫症は、きみの戦友なのかもしれない」

「せんゆう、ですか…」

「そう、一緒に戦ってきた、かけがえのない仲間」

「なかま…」

 

何かが崩れてゆくのが、わかった。

今日までずっと、この病を呪ってきた。

病を駆逐しなければ、元の生活に戻れない、生きる価値もない、と。

 

だが、本当に? 

生きる価値を病に委ねずとも、あなたは、あなたじゃないか。

そう問われている気がした。

また、生きてゆける。その直感が胸を貫いた。

嗚咽がとめどなく溢れ、静かな部屋にこだました。

 

顔を上げると、北山先生は、やさしく微笑んでいたが、なぜか泣いているようにみえた。

目には見えないそのなみだが、十五年以上経った今も忘れることができない。

それは初めてみた、

わたしのための、

たったひとつの、

なみだだったから。

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【 自作詩#7 】『その祈り』

なつかしいのはその祈り   

幼子愛でる大きな手

 

なつかしいのはその祈り 

苦しむひとをみる背中

 

なつかしいのはその祈り   

老いたる指でかく十字

 

櫛(くし)すべり落ち命果て     

静かにかえるその祈り

 

気づけばいつもそばにあり

いまなお生きるその祈り

 

愛するひとを想うとき   

愛した世界美しく

 

愛するひとを想うとき    

世界を切に愛したい

 

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【エッセイ⑦】こえ

棺の重さが痛い。

教会の外へ担ぎ出すと、木枯(こがらし)が吹きつけて、黒の服に粉雪がまとわりついた。

うっとうしい寒さに曇天(どんてん)をにらむ。

 

 「愛する祖母がいま、あなたのもとへ参ります」

 

 * 

 

「Oカワサエ。六歳。学習障害の診断あり。学校に馴染めず、不登校に。心のケアができる家庭教師を希望。趣味はポケモンと…」

 

新しい仕事の依頼。スマホの画面をぼんやり眺める。

悲しみはいつしか無気力へと姿を変え、毎日が惰性で流れた。

この身に子どもを癒す力が残されているとは、とても思えない。

 

ただ、遠くから聴こえるこえが、しつこく鳴っていた。振り払っても、消えないこえ。

仕事を引き受けた理由は、それだけだった。

 

初めて会うサエは、幼く見えた。はにかむ姿が可愛らしいが、その瞳は暗い。

発話もなかった。指を差す、うなずく、首を振る…。

声を発することさえ、怖がっているようだった。

 

それは、これまでサエの見てきた世界を、大人を、物語っていた。

声なきこえだった。

サエに呼びかけたい。君はひとりじゃない、と。

 

「サエちゃん、ポケモン好き?」

 

サエは目を丸くすると、大きく頷いた。

ゲーム機に駆け寄るサエを、やさしく見守る。

 

テレビ画面にかじりついて、ゲームを始めたサエの横に座ると、一緒に驚いたり、喜んだり、悔しがったり…。

サエの声を代弁するように、声をあげた。

心なしか、サエの表情も次第に柔らかくなる。

 

唐突に、はっと息を呑むこえが、聴こえた。

 

「みて!」

 

サエは画面を指差しながら、こちらにキラキラと輝く瞳を向けていた。

 

「このポケモン、すき!」

 

そう言ってサエは、にっと笑った。

それは紛れもなく、サエの笑顔だった。サエのこえだった。

はてしなく広がるぬくもりが、そこにあった。

 

「おかえり」

 

懐かしい祖母のこえ。だが祖母のこえだけでは、なかった。

求めていた四文字の言葉。

その熱は、闇の中でもはっきりと感じられた。訪れる平安に、深い息が漏れる。

そっと、こころで十字をかくと、楽しそうなサエの横顔に、光がさしていた。

 

※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

 

【エッセイ⑥】なみだの慰め

背中にあたたかいものを感じて、

そっと目を開いた。

 

朝日が襖の隙間から射し込んで、

向こうの闇を細く照らしている。


心地良いまどろみに身を任せていると、

中越しに、ぱたぱたと忙しない足音が

聴こえてきた。


行き来するその音の調子は、

覚えのある不器用さ。

思わず笑みがこぼれる。


聴き慣れた、母の足音。

しばらく背中でその音を聴いていると、

久しく忘れていた安らぎが、体全体に広がる。


切なさで、胸が潰れてしまいそうだった。

瞬間、冷たい現実がよみがえった。


母は、もういない。いないのだ…。

足音が、止まった。


「だめだ…、母さん、いかないで…」


頬を伝う涙に、目が覚めた。

足音はもう聴こえない。


ただ、無音がこだます部屋で、

身を震わせる涙だけが、そこにあった。


   *


祭壇にひとつ、小さな写真立てが伏せてある。

ずっと、見れずにいた母の写真。

 

なぜいま、それに触れようとするのか…。

波打つ鼓動よりも強く、そこへ引きつける

何かがあった。


深い息をひとつ漏らすと、ゆっくりと写真を

起こす。懐かしい母の笑顔と目があった。


そのとき、確かなあたたかさが、

全身を駆け巡った。

 

そのぬくもりは、母が生きていた頃と

まったく同じ。

全てを包み込むと、やさしく語りかけてきた。


「大丈夫、大丈夫よ…」

 

母は、いま、ここにいる。

いや、ずっと、いてくれた。

変わらずにいまも、愛してくれている…。


崩れるようにうずくまると、むせび泣いた。


流れるなみだが、初めて与えてくれた慰め…。

夢中で抱きしめた。

あとには、静かに燃える炎が、鼓動していた。

 

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【エッセイ⑤】微笑みの涙

この暗闇が、永遠に続くなら 

いっそ、すべてを終わらせて…

 

すでに強迫症は、彼から日常を奪い去って

久しかった。

そのひとに出会ったのは、そうしたとき。

臨床心理士と名乗ったそのひとを、

はじめ彼は警戒したが、気づくと静かに、

苦しみを打ち明けていた。

 

にこやかに話を聴いていたそのひとは、

ふと、気づいたことがあります、と言った。

 

強迫症は、ずっと、あなたの戦友だったのですね」

「戦友…」

 

その響きに圧倒された。

彼は長いこと、その病を駆逐しようと、

もがいていた。

だが、その病が紛れもない自分の

一部だとしたら。

いまこのときから、日常に戻ることができる。

再び、生きてゆける。

 

気づけば、声の限り慟哭(どうこく)していた。

激しいなにかが、触れてきた。

名前も知らないそれを、彼はこれから

生きていく気がした。

 

・・あの日、差し出された手をつかんだ。

導かれるままに、今度は手を差し出す人生を、

彼は選んだ。

困難を生きる若者たちの学習塾。

そこで教鞭をとった。

 

大学生のタケルに出会ったのは、

二年ほど経った頃。

大学の勉強を手伝うのが目的だったが、

いつしかタケルの悩みに

耳を傾けることが、ほとんどになった。

 

あるとき、タケルは沈んだ目で、

大学でいじめられていることを、

喘(あえ)ぐように彼に語った。

うつむくタケルとの間に、重たい沈黙が流れた。

 

タケルにかけるべき言葉。それを探すのは、

やめた。

沈黙に身を委ねていると、静かな風が、

くちびるを動かした。

 

「どんなときも、わたしは、タケルのそばにいる。絶対に」

 

顔を上げたタケルの目の色が、変わった。

 

結局、タケルは秋になって大学を辞めた。

自宅近くの学童で働くことにしたらしい。

最近は、楽しそうに子どもたちとの

ふれあいを話してくれる。

 

ふとしたとき、タケルは照れ臭そうに語った。

 

「先生は僕のそばにいてくれた。次は僕が、子どもたちのそばにいたいんです」

 

タケルの言葉を聴いて、彼は思わず

微笑みの涙を浮かべた。

かつての苦しみが、みせてくれた景色。

その輝きが、ひどくまぶしかった。

 

(注)「強迫症

強い不安によって日常生活に支障が出る精神障害

 

※ この記事は、事実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。

 

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