第四人称の語り部

コトバを生きる日々/ 俳人 /【俳句てふてふ】▶︎▶︎川辺一生

かれの祈り

いま、思い出している。

 

その老人は食卓につくと

いつも決まって少しばかりの微笑を浮かべながら、

三つの指を合わせて、そっと十字をかいた。

 

細く、シワだらけの

やさしい指先。

 

仰々しい祈りの言葉は口にしない。

ただゆっくりと、短く、十字を描く。

 

それが、彼の祈りだった。

 

そばで見つめる幼い孫には、そのことの意味は

まだよくわからない。

 

ただ、どこか嬉しそうな祖父を

見上げるのは大好きだった。

 

老人は生前、言葉で信仰を語ることは、

一度もなかった。

 

彼の口から聖書の言葉を聞くことも

救い主の名を聞くことも

 

ついになかった。

 

ただ、生き様というコトバで、

熱烈に、やさしく、語りかけてくれた。

 

へき地診療に身を捧げ、懸命に働く背中。

 

孫と泥んこになって遊ぶ好々爺の

大きく、あたたかい手のひら。

 

それらのコトバを通じて

彼はいつも語りかけた。

 

ガリラヤの地で

生き様というコトバを通して、

語り続けたあの人のように。

 

彼もまたコトバを、祈りを、生きた。

 

多くを語らずとも大きな愛で、

周囲の人々を愛し、愛された。

 

それが私の祖父だった。

 

生活に忙殺される人混みの真ん中にいると、

時々そっと心に十字をかきたくなる時がある。

 

3つの指を合わせ、

ゆっくりと、

十字を描く。

 

慌ただしい音がやみ、

懐かしい記憶が目の前にあらわれる。

 

彼のコトバが語りかけてくる。